旅する日常*きのしたふみの「いくつになっても好きな服を」

ふだん着を楽しむヒトです。157センチ、服や旅、日々の楽しみなどを書いてます

クローゼットはいっぱいなのに着る服がない【ある日のきのした】

 

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帽子・不明

ワンピース・KEIHAYAMA

タートルセーター・tsumugu

ジーンズ・DMG

靴・トリッペン

ストール・自作

 

「クローゼットはいっぱいなのに

着る服がない」

っていう謎の現象が

あるじゃないですか。

 

かつてわたしも

その現象に襲われていたんで、

そこからの考察でもあるんですが、

大きな原因として

「好き、がわからなかった」

ということがあるんじゃないかなと。

 

こういうの好き、っていう感覚が

あるかないかで言うと

「ある」とは思うんだけど、

しっかりと意識されていないとか、

ぼんやりしている、

封じ込めてしまっている、

みたいな感じで

とてもおぼろげやったんですよ。

 

なんでそうなったのかを

さらに探ると、その奥には、

「こんなのが好きって恥ずかしい」

「わたしの好きなんて大したことない」

「わたしはセンスが悪い」

というような自己否定や

自己卑下みたいなものが

ひっそりと横たわってた。

 

自分を否定してるから服を買う時も、

・ネットや雑誌、テレビで見たから

・大勢の人が着てるから

・「これいいよ」って言われてるから

という外からの情報を判断基準にする。

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「センスが良くなりたい」

「褒められたい」

「一目置かれたい」

「オシャレに見られたい」

って気持ちはあるんだけど、

「じゃあ、あなたの言う

『センスがいい』とか『オシャレ』って、

どんな人やどんな格好のことを言うの」

という問いには言葉が詰まって思考停止。

こういう人がオシャレだと思う、

こういう人になりたい、

っていうのが思い浮かばない。

この「思い浮かばない」も、

「憧れの人なんていません。

なぜならわたし自身がそうだから」

という天上天下唯我独尊的な

自尊心高い系のものじゃなく、

ただひたすら思い浮かばない。

 

流れで言うと、

●自己否定や自己卑下が根底にあるから、

自分の「好き」さえも否定、

自分の「好き」が何だったのか

わからなくなる

  ↓

●自分のアンテナより

外部の基準が中心、

服も外部の基準で買う

  ↓

●クローゼットは好きでもない服で

いっぱいになっていく

 

だから本当は、

「クローゼットはいっぱいなのに

着る服がない」

じゃなくて、

「クローゼットはいっぱいなのに

好きな服や着たい服がない」

ってことなんちゃうかなあ、

と思うんです。

 

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