日常を旅するように漂う*きのしたふみの「いくつになっても好きな服を着る!」

大阪と京都の間に住む、ふだん着を楽しむヒトです。157センチ、服のことからしょうもないことまで書いてます。

わたしは自分の意志で、傘の開閉をしているか?

 

 

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降ったり降らなかったり小雨だったりと

ビミョーな雨のときにふと思うのは、

 

わたしは、

自分の意志で

傘をさしたり閉じたりしているか?

 

ということ。

 

 

 

周りが傘をさしているから自分もさす、

周りが閉じているから閉じる。

 

ではなく、

 

自分が濡れたくないからさす、

自分がささなくていいと

判断したから閉じる。

 

 

 

たかが傘ひとつで何を言うとんねん、

と自分でも思うけれども(笑)

 

 

 

雨傘が好きじゃないから

よけいにそういうことを

考えてしまうんだろうなー。

(日傘は好き)

 

 

 

折り畳みにしろ普通の長さのやつにしろ、

雨傘は持ち歩きたくないし、

なるべくさしたくない。

そんな自分の習性に、

何年か前にやっと気づきました。

 

 

 

なかなか気に入る雨傘がなく、

持ち手が竹ならかっこいいかも

とも思ったんですがなんせ高いし、

高ければ失くしにくいかも、

とも考えたんですが、

バッグ以外を持つというだけで

なくす可能性は高まる。

 

 

 

そうこうするうちに、

そもそも雨傘を持つのもさすのも

好きじゃないよね?

ということに気がつき、

いまのところ数年前に買った

折り畳み傘(これも特に気に入っているから

持っているわけではなく、

間に合わせで買って失くしてないだけの

消極的産物)で

すべてを済ませている状態が

続いています。

 

 

 

アタマの話に戻ると、

「みんなが、周りが、やってるから

(やってないから)」と、

自分も右へならえをするのもいいんだけど、

そればっかじゃ、なんかつまらんと思うんです。

 

 

 

できるなら、

「右へならえ、しとこ」というのも

自分の意志を持ってやりたい。

 

 

 

そこに自分の意志が入ると、

選択の余地が生まれ、

選択の余地があるということは、

自由であることにつながる。

(そして自由であることは、

同時に自己責任でもある)

 

 

 

ま、

たかが雨傘なんですけどねーw

(結局それ)