日常を旅するように漂う*きのしたふみの「いくつになっても好きな服を着る!」

大阪と京都の間に住む、ふだん着を楽しむヒトです。157センチ、服のことからしょうもないことまで書いてます。

友だちについてつらつら。

 

何日にも渡って書いて、書き直して、書き足しました。この年齢になって思う、友だちについて。

 

 

「友だち」の定義は個人によってちがうし、同じ人でもその時々で変わっていくものだと考えていて、今のわたしはこう考えている、と言うことしかできなくて、そしてそれは別に友だちの定義に関してに限ったことでもなく、すべて流動的なんですけれども。

 

 

友だちの少なさ、交友範囲の狭さは、ときとして保護者を心配させるものでもあるようですが、わたしは友だちと呼べる人は子どもの頃から2、3人で充分幸せ。

 

 

でも、わたしは好きだけどわたしが友だちと思っている人がわたしのことをどう思っているかはわからない、といつも思います。この先も友だちでいられる保証はなく、約束もしません。相手がわたしから離れるのも、わたしが相手から離れるのも自由で、ずっと友だちだったからとかお世話になったからみたいな理由でわたしは関係を続けない。会いたくないのに会ったり関係を続けることは、相手に対してはもちろん、自分に対しても誠実ではない感じがするのです。別に会いたくないんだけどなぁと思われながら会われている、というのはわたしならつらいし、逆に自分がそんな気持ちなのに会うというのは、自分の気持ちを軽視しているように今のわたしには思えてしまう。かつては「お世話になったから」みたいな気持ちで、あまり気乗りがしないのに人に会ったりしていましたが。

 

 

と、これはあくまでわたしの感覚。要はわたしはたくさんの人を大事にできるほど器用じゃないんです。大事にできる人間関係のキャパがきっとめちゃくちゃ狭い。広げようとした時期もありましたが、やっぱり自分のキャパらしきものを越えると、とたんに気持ちの余裕がなくなって何かに追い立てられる気分になってしまう。

 

 

そして「今はね」という限定付きの話です。何日か後、何年か後には、キャパは広がっているのかもしれません。 

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友だちと呼べる人に関して心がけているのは、ひとことで言うと「忖度しないこと」。言い換えると、勝手に気を回さないこと。たとえば、あの最後のメッセージのやり取りがなんか冷たい感じがしたとか、前回会ったときになんとなく気まずかったとかで「あ、もしかしてわたしのこと避けたいのかも…」と不安になったとしても、自分が連絡したい、会いたいなら、そこまで気を回さないようにする。なぜなら、その人と友だちでいたいから。実はこれをするのは、わたしにはとても勇気が必要です。勇気を出して連絡したとしても、やっぱりそっけない態度だったり、ほんとは迷惑だったならかなり傷つく、落ち込む。でももしかすると、前回の相手の態度は自分の思い違いや勘違いだという可能性もある。真実は相手に聞いてみないと決してわからないことです。昔のわたしなら自分が傷つく前に相手から離れることも多々ありました。アレコレと思い当たるフシを頭の中に並べて、「ああきっともうわたしのことが好きじゃないんだ…」って悪い方向に妄想を膨らませていた。ですがもう今は、自分が好きなら、その人と友だちでいたいなら、傷つくことを怖がっている場合ではないと思うようになりました。どうせなら妄想力は悪い方向にではなく、自分の都合のいいようにはたらかせたいのです。もし、本当に相手がわたしを避けたいなら、それはもう仕方がない。わたしも好きになったりそうじゃなくなったりするように、相手にもその権利はある。気持ちを確かめられてよかった、勇気を出したわたしグッジョブと思えばいいのです。悲しいけれど、落ち込むけれど。