旅する日常*きのしたふみの「いくつになっても好きな服を」

ふだん着を楽しむヒトです。157センチ、服や旅、日々の楽しみなどを書いてます

義理より自分の精神衛生のすこやかさ

 

好きな人、好きだった人(普段は忘れてるけど

キライにはなってない人)だからって、

ずっと好きでいる必要はないし、

その人のすべてを

好きでいる必要もない

と思うんですよね。

有名人に対しても、一般人に対しても、

身内に対しても。

 

 

 

一旦好きになったらその人の見た目も性格も

発信するものも、ぜーんぶ

好きにならなきゃいけない、

くらいにヘタすると思いつめがちだけど。

 

 

 

キライじゃないけど会って話したいと思わない、

キライじゃないけど発信を見たくない、

そういうのもアリよなー、

って考えとくと、ラク

 

 

 

もう、そうなったら

好きじゃないとかキライじゃないとかっていうより、

関心が減った

なんですけれどもね。

関心がない、とは言わない。

関心が減った。

 

 

 

友だちだから、

お世話になったから、

身内だから、

とかなんとかで会い続けたり

フォローし続けたりするのは、

実はひそかに

ボディーブロー級のダメージを

自分の精神に与え続けている行為

かもよー、なのです。

 

 

 

というのも、

わたしがそうだったからなんですが。

 

 

 

その人と会ったり、その人の発信を見るのが

楽しみならいいんだけど、

どうもどこかで、それについては

考えまいとしてたり、

「今はこんな気持ちでも、会ったら楽しいだろう」

って思っていたり、

それこそお世話になったし、身内だし、

友だちだし、って一瞬脳内で言い訳して、

そう思ってしまう自分に罪悪感があったり、

そんな状態なら、そうアタマをよぎるたび、

ちょっと立ち止まって考えてみる価値はある。

 

 

 

何年か前、ある人と親しくなって、

たびたびその人と飲みに行ったりしてました。

 

 

 

その当時、その人は

ある界隈ではちょっと名の知れた人。

だから誘ってもらえるのがうれしかった。

 

 

 

だけど、何回か会ううち、

わたしが自分の話をしようとすると

その人はすぐその人の話に

持って行ってしまう、ということに

気づいてしまったんですよね。

 

 

 

つまり、自分の話ばかりで、

わたしの話を聞いてくれない。

(でもそれが悪いことなんじゃなくて、

そうされても平気な人はいるわけだから、

「わたしが、されるとイヤなこと」

だったってだけ)

 

 

 

最初は、たまたまかもと思ったんですが、

だんだん確信に変わってきた。

不快を感じているにもかかわらず、

「友だちだし」「お世話になったし」

と関係を続けようとしていた自分にも

気がつきました。

 

 

 

その人とはじょじょに会わなくなって

それきりなんですが、

それからもそういう関係を

他のヒトで何度もくりかえしました。

さすがに最近はわりと早く

気づけるようになったけど。

 

 

 

そういうことをしてると、やっぱり、

わたしって冷たいんじゃないか?とか

ちょっとした罪悪感は

まだ少しわいてくるんですが、

そんな義理より

自分の精神衛生の

すこやかさのほうが大事だ

 

 

 

会いたい人には会う、

そうじゃなければ会わない。

 

発信を見たい人のは見る、

そうじゃなければ見ない。

 

 

 

会いたくない!とか見たくない!

ってほどでもないけど

気が進まない、という程度でも

わたしはそうしてます。

(そこらへんの線引きは

おのおの違う)

 

 

 

でね、生きてる限りは

そうはいかないときってあるじゃーん、

とも思うので、そういうときは、

あ、わたし気が進まないんだな、

ってことをしっかり意識しつつ、

それをすればいいんじゃないかなあ、

と、考えてます。

 

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関係ないけどこれめっちゃよかったです。

パプリカ 米津玄師バージョン | NHK みんなのうた