旅する日常*きのしたふみの「いくつになっても好きな服を」

ふだん着を楽しむヒトです。157センチ、服や旅、日々の楽しみなどを書いてます

「わかる」が深まると「腑に落ちる」になる

 

「わかる」が深まると

「腑に落ちる」になって、

そうなると、大げさにいうと

「見ていた世界が転換する」

になるなあと思います。 

 

 

すると、固執していたものを

手放すこともできたり。

 

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>先日参加させて頂いた「着せ替え自分の会」から

>ちょっとずつ自分の中で変化が起こっています。

>ファッションにはこれが正解!ってものがあって

>それを教えて貰えば全ては上手くいくと

>思い込んでいた自分に急に気がついたのです。

>どうやらそんなものはないんじゃないか、

>っていうか正解ってなんなん??

>「センスがいいと人から言って貰える服」

>と言う正解を私はずっと探してたんやなぁ

>と急に納得がいったんです。

 

>それに気がついたら、

>もうそれええかもな

>と思うようになりました。

 

 

初夏の「着せ替え自分の会」にご参加いただいて、

メルマガ読者さんでもあるYさんから

こんなお便りをいただきました。

 

>自分が何がしたいか

>何をしたら気分がいいか

>何を着たらワクワクするか


>それだけをただ貪欲に追求したら

>ええんやと思うとすぅーっと気持ちが楽になって

>急にいろんなことが面白くなってきだしてます!

 

 

服のことを含め、すべてのことには

正解なんかなくて、

あるのは自分が「それを好きかキライか」。

 

 

わたしもそのことが「腑に落ちた」とき、

Yさんと同じように、

「あ、じゃあわたしの好きにしていいんだ」

って気持ちが軽くなって、

目の前が開けたようになりました。

すごい自由を感じたんです。

 

 

「好きかキライかでいい」

それを「わかって」いても、

うーん、そんなもんなのかー?

と思うだけだったけど、

それが深さを増して「腑に落ちた」とき、

え?

えええええ???

今までモンモンとしてたのは何??

そんなカンタンなことだったの??

ってなった。

 

 

むずかしく考えてたのは自分だった、と。

 

 

でもこれにも当然、

代償はともなうわけで。

 

 

服のことでいうと、

「好きかキライか」で服を選んだり

着たりしだすと、

「それやめといたら?」

「それダサくない?」

みたいな批判や非難にさらされる確率が

高まります。

 

 

誰かが推してた服、

SNSで取り上げられてた服、

流行のスタイル、

そういうものを着ていたら、

「でも〇〇で取り上げられてたし」

「有名な〇〇が着てたし」って言えた。

(でもこれは責任転嫁でもある)

 

 

「好きかキライか」で服を選んだり

着たりするようになると、

それは全部自己責任、自分のセンス、

になってしまうんですよ。

 

 

それは、慣れないと怖いことでもあり、

同時に、とてつもなく自由なことでもある。

 

 

誰かの推しを着続けて

責任を持たなくて済むのがいいのか、

批判覚悟で自分で選ぶのがいいのか、

それにも正解がありません。

自分がどうしたいか、だけがある。

 

自分がやりたきゃどっちでも、

なんでもいいんです(^^)

 

 

 

Yさん、

いつもお便りありがとうございます(*^^*)

 

 

 

秋にまた「着せ替え自分の会」の

秋冬服バージョンをやろうかなと思ってます。

 

「着せ替え自分の会」

初夏の募集要項はこんなんでした↓  
longsleeper.hatenablog.com