罪悪感をなくすことに集中するのではなく、
罪悪感を感じつつも生きる。
という感じです、今。
お金を使うなら、
●使うだけ稼いでないといけない
とか
●使う分、労働や苦労をしなきゃいけない
と、世界の常識や因果応報並みに
思いこんでました。
今だって半分は、
「はああ〜どうなんだろ〜、ビクビク(;´д`)
オット氏に文句言われたらヤダな〜、
こんなにお金使って大丈夫かな〜」
という気持ち。
それは消えてない。
でもね。
文句ばっかり、
言い訳ばかり言ってる人生をね、
わたしは生きたくないわけです。
いつもおもしろい方を見て
過ごしたいんですが、
辛くてもそう過ごせばいい、
気持ちの持ちよう、
とかは他人に強要されたくない。
人生が自分の前提通りに
なっていくとしたら。
『わたしはやりたい放題やっても、
なんだかんだあっても、
最後には満ち足りて
「あー、楽しかった、やりきった」
と死んでいく』
というわたしの前提通りに
わたしの人生は進むはず。
そのためには、
文句言われたらヤダな〜とか、
ほんまかなー?とか思うだけで
足踏みしてる場合じゃねえのです。
実際に自分がやってみて、
人体実験せねばならぬのです。
自分の人生だから。
誰も責任を取ってくれないのだから。
罪悪感。
それを超えるには、
罪悪感を感じながらも
自分が本当にやりたいことを
少しずつでもやる。
開拓者が、何が出るかわからない土地を
さぐりさぐり開拓していくように。
開拓の先に欲しいものがあるなら、
ときには途方に暮れながらも、
開拓をやめるわけにはいかないのです。