旅する日常*きのしたふみの「いくつになっても好きな服を」

ふだん着を楽しむヒトです。157センチ、服や旅、日々の楽しみなどを書いてます

罪悪感を感じながら進む

 

 

罪悪感をなくすことに集中するのではなく、

罪悪感を感じつつも生きる。

 

 

という感じです、今。

 

 

 

 

お金を使うなら、

 

●使うだけ稼いでないといけない 

とか

●使う分、労働や苦労をしなきゃいけない

 

と、世界の常識や因果応報並みに

思いこんでました。

 

 

 

今だって半分は、

「はああ〜どうなんだろ〜、ビクビク(;´д`)

オット氏に文句言われたらヤダな〜、

こんなにお金使って大丈夫かな〜」

という気持ち。

それは消えてない。

 

 

 

でもね。

 

 

 

文句ばっかり、

言い訳ばかり言ってる人生をね、

わたしは生きたくないわけです。

 

 

 

 

いつもおもしろい方を見て

過ごしたいんですが、

辛くてもそう過ごせばいい、

気持ちの持ちよう、

とかは他人に強要されたくない。

 

 

 

 

人生が自分の前提通りに

なっていくとしたら。

 

 

 

 

『わたしはやりたい放題やっても、

なんだかんだあっても、

最後には満ち足りて

「あー、楽しかった、やりきった」

と死んでいく』

 

というわたしの前提通りに

わたしの人生は進むはず。

 

 

 

 

そのためには、

 

文句言われたらヤダな〜とか、

ほんまかなー?とか思うだけで

足踏みしてる場合じゃねえのです。

実際に自分がやってみて、

人体実験せねばならぬのです。

自分の人生だから。

誰も責任を取ってくれないのだから。

 

f:id:LONGSLEEPER:20190221134212j:image

 

罪悪感。

それを超えるには、

罪悪感を感じながらも

自分が本当にやりたいことを

少しずつでもやる。

開拓者が、何が出るかわからない土地を

さぐりさぐり開拓していくように。

開拓の先に欲しいものがあるなら、

ときには途方に暮れながらも、

開拓をやめるわけにはいかないのです。