旅する日常*きのしたふみの「いくつになっても好きな服を」

ふだん着を楽しむヒトです。157センチ、服や旅、日々の楽しみなどを書いてます

愛され妻のヒケツ2「イヤなことはイヤという」前編

 

 

 

 

 愛され妻のヒケツ1

「自分だけでがんばらない」

のつづき。

 

 

 

 

ヒケツその2

「イヤなことはイヤと言う 

前編」

 

 

 

ヒケツ1の

「自分だけでがんばらない」と

重複してますが。

 

 

 

 

これも言えない人、

多いんじゃないかなー。

 

 

少なくとも数年前までの

わたしはそうでしたね。

 

 

 

 

なんでしょうね。

 

 

 

女だから、

妻だから、

母だから、

あまり稼いでないから、

 

 

 

これくらいはやらなきゃ

 

みたいな。

 

 

 

 

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たとえばゴハンあとの洗い物。

 

 

 

「食べたら、する」

 

と自動的に思ってるから、

 

 

気乗りしなくても、

とりあえず、する。

 

 

 

 

やりたいとか、

やりたくないとかじゃなくて、

「食べたら、する」ものだから。

 

 

 

そこは考えちゃいけないところ。

そこは好みを入れちゃいけないところ。

 

 

そう思ってました。

 

 

 

 

 

というか、

それさえも意識にのぼらせてなかった。

 

 

 

やりたいとか、

やりたくないとか言い出すと、

やりたくないに決まってるから。

 

やりたくないなんて、

許されないから。

 

 

 

 

 

だって、

 

 

女だから、

妻だから、

母だから、

あまり稼いでないから。

 

 

 

 

 

今思うと、この最後の

「あまり稼いでないから」

という部分がかなり大きかったと。

 

 

 

働かざる者、食うべからず

 

とずっと思ってたんでねー。

 

 

 

 

何かをしないと、

役に立たないと、

そこにいてはいけない

 

ってことだから、これ。

 

 

 

 

 

この

「イヤなことはイヤという」

やり始めると、

離婚さえ覚悟するようになります。

 

 

 

今までの自分とは違うから、

パートナーに「NO」と言われても

仕方がないわけです。

 

 

 

 

それでもわたしは、

わたしでいたかった。

 

 

 

 

ほんとは後片付けもしたくない、

ほんとは家でグータラしてるのが好き、

ほんとは稼いでなくてもお金が使いたい。

 

 

 

 

だからね、

最初はビクビクもんでした。

 

 

 

 

わけのわからない焦り、

すぐ何かしようとしてしまう、

自分のいたたまれなさを

なだめつつ、知らん顔をする練習。

 

 

 

わたしが罪悪感を持ってしまうと、

きっとそれは

「オットから責められる」

という現実を連れてくると思ったので、

「わたしは洗い物しなくてもここにいていい」

と言い聞かせる日々。

 

 

 

 

 

 

 

後編につづきます。

 

 

 

 

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