旅する日常*きのしたふみの「いくつになっても好きな服を」

ふだん着を楽しむヒトです。157センチ、服や旅、日々の楽しみなどを書いてます

なるべくたくさんのことに「それもアリだねえ」と思いたい


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「そんなことしてバカみたい」

 

「恥ずかしくないの?」

 

といったたぐいの言葉は、

他人に向けているだけでなく、

 

 《わたしはそれを

バカみたいなことだと思っている》

 

《わたしはそれを

恥ずかしいことだと思っている》

 

という

「自分の思想のカミングアウト」

でもあります。

 

 

 

たとえば、

街やSNSで見かけた人に

「そのトシでワンピースって

恥ずかしくない?」と思ったり

コメント付けたりは、

 

「その年齢でワンピースを着るのは

恥ずかしいと思っている、という

価値観を持っているのがわたしです」

 

と、言ってるようなもの。

 

  

 

「中卒なんて恥ずかしくないの?」は、

 

「中卒なんて恥ずかしいという

価値観を持っているのがわたしです」

 

 

 

「それカッコイイと思ってるんだね」は、

 

「それをカッコイイと思わないという

価値観を持っているのがわたしです」

 

 

 

「あなたバカじゃないの?」は、

 

「そんなことをするあなたを

バカだと思っているという

価値観を持っているのがわたしです」

 

 

 

「ふん、目立ちたがり屋か!」は、

 

「目立つのはよくないという

価値観を持っているのがわたしです」

 

  

 

非難や批判、悪口などの

いわゆるマイナス言葉が多く使われる

シチュエーションは特に、

その人の価値観があらわになる。

 

 

 

でも、

 

そう思ってはいけない、とか

悪口はダメ、ではなく。

 

 

 

「あー、わたしは(または、この人は)

そう思ってるんだな」っていうだけで、

そこに「いい」「悪い」の

ジャッジは必要ないんですよね。

 

 

 

時間があれば、

「じゃあなんでわたしはそう思ってるの?」

を考えてみてもいいとは思いますが。

 

 

 

他人に対して思うことは、

実は他人ではなく

自分に対して一番思っていること

でもあったりする。

 

 

 

他人に対して放てば、必ず同時に

自分に返ってくる諸刃の剣。

 

 

 

「そんなワンピース、

フツーそのトシで着れないよねー」

って他人に対して思うんだったら、

もちろん自分はぜっっったい着れないし、

 

「そのトシでバカみたい」

って他人に対して思うなら、

「そのトシでバカみたい」なことは

ぜっっったいに自分はできない。

 

 

 

それも価値観なので、

「いい」「悪い」はありません。

 

 

 

だけど。

 

 

 

他人に対しての非難や批判は、

あればあるだけ

自分を縛っていることになるから

「不自由」「窮屈」だろうし、

そういう縛りがなければないだけ

「自由」ではある。

 

 

 

わたしはできるだけ

「それもアリだねぇー」

というのが多い人生がいいな。