たとえば同じ条件で
渋滞にはまった2人がいたとすると、
「チェッ、ついてないな!」
とずっとイライラしてる人と、
「チェッ」と思っても、
「その分、ラジオが聴けるなあ」
「空がキレイだなあ」などと、
別のことや楽しいことに目が向けられる人とでは、
最終的にいろいろ違ってくると思うんですわ。
図にしてみるとこんな感じ。
↑これが人生だとすると、
笑いとばせる範囲がコレなら
こんな人生↓
笑い飛ばせる範囲がコレなら、
こんな人生↓
「わたしは機嫌よくいたいのに、
まわりの人たち(社会や環境も含めて)が
怒らせるようなことをする」
とかね、わたしも昔は思ってました。
なんでもかんでもヒトのせい、
かと思えば
「どーせわたしが悪いんでしょー」(笑)
ちなみに、
「どーせわたしが」と「ヒトのせい」は
一見、正反対に見えますが、
根っこは同じものです。
今になって思うと、
怒りたかっただけ
目の前のことは原因じゃない。
怒るきっかけを探してた、
大阪弁で言う
「いちゃもん言いのヤカラ」なのです。
いや、いちゃもんではない!
正当な怒りだ!とも思ってました。
ま、怒りたいうちは怒ればーと
過去の自分に言いたい。
そのうち
本人が疲れてくるか、
まわりからヒトがいなくなるか、
ずっとそのままか、
イヤになって抜け出すか。
これも、いい、悪い、はありまっせん。
「自分がどう生きていきたいか」なのでー。