旅する日常*きのしたふみの「いくつになっても好きな服を」

ふだん着を楽しむヒトです。157センチ、服や旅、日々の楽しみなどを書いてます

自分の不快に気づく

 

 

 

家族がそろってるときの、

お風呂に入るとき、って

なーんか落ち着いて

湯船につかってられないなーと

ふと思ったんです、こないだ。

 

 

なるべく早く上がらないと、

と、どこかしら考えてる。

 

 

なんで?と自分の気持ちを探ってみると、

わたしのあとに入る人のことや、

自分がお風呂から上がったあとの

段取りを考えてた。

 

 

 

はあ、

わたしまだそんなこと考えてるんだ。

 

 

 

「気を遣う」ってまあ、

イイコトなんだけど、

そのせいで落ち着かなかったり、

「なんでわたしが」って

思ったりしてるんなら、

わたしにとってそれは

「やらなくていいこと」。

 

 

 

そのひとが快適なように、

という意識で

その行為をしてるんじゃなく、

 

イラつかれたらヤダな、

なんか言われたり思われたらヤダな、

という意識でその行為をしてる、

ってこと。

 

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そして、もひとつ、

改めて気づいたこと。

 

 

わたしはわたしのペースを崩されるのが

本当に苦痛だ、ということ。

 

 

自分の段取りやペースを

崩されるのが泣きたいほど不愉快。

 

 

そりゃガマンしようと思えば、

ガマンをしているということさえ

意識にのぼらせないくらい

ガマンはできる。

 

 

感情のスイッチを切ればいいだけだし。

 

 

でもさんざんそれをやってきたから、

もうやりたくない。

 

  

今のところ、

究極はコドモの夜泣きでしたね。

 

 

わたしはわが子であろうと、

自分が寝たいときに寝たい。

他人の都合で起こされるのは

ほんとにイヤ。

 

 

でもこれ、

当時はわからなくて、

数年前にやっとわかったこと。

 

  

自分の感覚を呼び覚ましていくと、

最初は「自分がワガママだからだ」

「どうしてこんなことくらい

ガマンできないんだろう」

「みんなやってることなのに」

と自分責めばかりだけど、

近ごろは

「もうしょうがないよね、

わたしそういう性質だから」

と思えるようになりました。

 

 

まったく自分責めを

しなくなったわけではないけれど、

開き直りというか、

自分を肯定する気持ちの方が

強くなってきたかなと。

 

 

わたしの人生だしなあ。

 

わたしがラクで楽しいのが

何よりなんだよなあ。

 

 

たとえば

「いつもお風呂にゆっくり入るの

ガマンしてくれてありがとう」

なーんて家族に言われるわけないし、

言われたとしてもうれしくない。

 

 

ガマンは報われない。

 

人畜無害の評価は得られるかもだけど、

ココロは死んでいく。

 

ガマンはマグマになって蓄積され、

いつか腐臭をともない漏れ出る。

 

 

あーやっぱり、

自分のことは、

自分で大事にするしかないんだなあ。

 

 

やっとそれに気がついたって感じです。

 

 

 

 

【こういうとこでこういうのやるよー、の
きのしたの今後のスケジュール】

 

●10/23(月)@大阪梅田
『あなたの可能性を広げる
45才からの普段着格上げツアー』
http://longsleeper.hatenablog.com/entry/2017/10/02/214838
 
●10/30(月)@大阪梅田
『いろんなストール巻いてあそぼ―会』
http://longsleeper.hatenablog.com/entry/2017/10/08/134751
 
●11/5(日)@福岡天神 
『あなたの可能性を広げる
45才からの普段着格上げツアー』
http://longsleeper.hatenablog.com/entry/2017/10/02/214838

 

●11/23(月)@大阪梅田
『あなたの可能性を広げる
45才からの普段着格上げツアー』
http://longsleeper.hatenablog.com/entry/2017/10/02/214838