旅する日常*きのしたふみの「いくつになっても好きな服を」

ふだん着を楽しむヒトです。157センチ、服や旅、日々の楽しみなどを書いてます

コドモを信用して、コドモに合わせる。

 

 

コドモを叱ったり、注意したりするとき、

その理由が「外付け」だったら

コドモってそれわかっちゃうんですよね。

 

 

どういうことかというと、

 

 

「行儀よくしなさい」ひとつにしても、

1・世間様にみっともないから、行儀よくしなさい

2・わたしが見てて不愉快だから、行儀よくしなさい

 

1と2のどちらなのか?ってこと。

 

 

「保護者であるわたしに恥をかかせないで」

という意識をコドモはすぐ嗅ぎとる。

 

 

しばらくはコドモも言うことをきくかもしれない。

コドモが弱い立場のときは。

 

 

でもそれは、反抗期と呼ばれる時期、

コドモが弱い立場でなくなったとき、

必ず反動が来る、とわたしは考えていました。

 

 

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右・息子1が3才のころ(現在21才)

左・息子2が1才のころ(現在19才)

 

 

 

忘れ物するな、学校へ行け、もそう。

 

 

忘れ物して困るのは誰なのか?

学校へ行かなくて困るのは誰なのか?

 

 

保護者であるわたしは、

ちっとも困らない。

 

 

たぶん本人だって困らない。

 

 

多くの保護者が

ヤイヤイ言ってしまうのは、

「それをさせる(またはさせない)

保護者はダメだ、という

評価をされてしまうから」

 

 

保護者であるあなたが評価されるのが

こわいんでしょう?ということ。

 

 

それを「あなたのために言っている」

「この子のしつけのために」とか

すりかえるとコドモって見抜くんですよね。

 

 

で、「ウソつくな、てめーの保身だろーが!」

っていう反抗のされ方をする。

 

 

だからもしコドモに何か言うとしたら、

「わたしはこうしてほしい」

という伝え方がいいとわたしは思います。

 

 

そしてそれが自分の保身なのか、

ほんとに不愉快なのか、

ちゃんと自分で見定めること、考えること。

 

 

そうすると時には、

保護者である自分が

批判にさらされるときもある。

 

 

それでもいい、と腹をくくること。

 

 

ほんとにコドモのためを考えるなら、

「世間に合わせる」のではなく、

「コドモを信用して、コドモに合わせる」。

 

 

今、わたしはまだそれをやっている最中で、

エラそうなことは言えないけど、

そうやってきたし、

これからもそうしていくつもりです。